【コピーライティングのヒント #2】エビフライ 尻尾がなければ ウ◯コです
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選んでいただくための
コピーライティングのヒント#2
好きな揚げ物ランキングを調べてみると、
性別・年代問わずにベスト5に入っているエビフライ。
でも、尻尾って食べますか?
ワタクシは皿に盛られたモノは、
嚙める・飲み込める・人間が食べているモノであれば残さず食べるなタイプですし、
カルシウム摂取のために食べるのですが、ほとんどの方は食べないのではないでしょうか。
尻尾があるから揚げる時につまんで油に入れやすい。
尻尾を落とすのが手間なのでそのまま残してる。
などの調理上の理由があるかもしれませんが、
わざわざはらわたを取って魚料理などを提供するプロの料理人でも、
エビフライの尻尾を残して提供することを考えると、
調理上の理由では無いと思うワケです。
もしもエビフライに尻尾が無ければ見た目で言うとアレって、
色といい太さといい、もう見事な一本ウ◯コですよね!
この理論を唱えた方は、
おしりだって、洗って欲しい。
目の付けどころがシャープでしょ。
反省だけなら、サルでもできる。
などのキャッチコピーで知られる仲畑貴志さん。
仲畑さんが考えられた新潮社の新潮文庫のコピーに
『知性の差が顔に出るらしいよ……困ったね。』
というものがあり、
クライアントさんから
「そんな回りくどいことせず『知性の差が顔に出る。』でいいじゃないですか」
と言われた時にエビフライを例に説明したとのこと。
エビフライの尻尾は食べることはほぼ無いですよね。
だったらはじめから尻尾を取ってフライにしらたいいじゃん! となるんですが、
尻尾の無いエビフライって、カタチ的にウ◯コっぽいじゃないですか。つまり機能していない尻尾の部分ではあるけれども、
そこにはエビフライのビジュアルアイデンティティがあるんです。
だからキャッチコピーもまた、
意味として伝わる部分だけを書いたのでは、伝わりにくいんですよ。
コピーの中の「エビフライの尻尾」が、多くを伝えるのです。
と言って説明されたとのことです。
コピーには余白が必要な時もある
余白が読み手の想像を膨らませ
行動を変容させる力にもなる
仲畑さんの著書
『みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。勝つ広告のぜんぶ 』
でこのことを仰ってあるのですが、
これを更に掘り下げて
「知性の差が顔に出るらしいよ……困ったね。 」
というキャッチコピーの『エビフライの尻尾』の部分をワタクシなりに解釈したのですが、
「知性の差が顔に出る」
だけだと、そう思ってるのはアナタだけでしょ! といった無用の反発を招く可能性がる。
だから、
「らしいよ」
と人から聞いた体裁をとることで、「そんな説もあるんだ」とか、
「確かにそうかもね!」と言った共感を生み出す効果を狙い、
更に、
「……困ったね。」
が加わることで、
「そうならないようになんとかしなきゃ!」
「だから本を読んで知性を磨こう!」
といった困らないための行動を想像させる効果を狙ったのではないかと推察してみました。
一見無駄と思えるモノが本質的なことを引き立て、
余白があることで見る方の想像力を刺激することに繋がるというのは、
キャッチコピーにおいてだけでなく、
小説などを書く際にも大きな力を発揮するのだと、
ハードボイルド小説や歴史小説を執筆されてある北方謙三さんも仰ってありました。
北方謙三さんが水滸伝を執筆中に、水滸伝の主要登場人物が108人いるということで、
各会場に108人のファンだけが参加できる講演会を開催され、
その時に以下のようなことを仰ってありました。
「何文字以内で書いてくれと依頼された時、
昔は大幅に文字数が溢れて泣く泣く文章を削っていたけれども、
今じゃ指定された文字数以内にキッチリ収めて書くことができるようになった。文字を削ることで文章表現が豊かになるんですよ。」
ということを。
これを聞いた時には、詳細をしっかり説明して文字数を多く書いた文章の方が、
読む人がその場面や人物像を想像しやすくて文章表現が豊かになるんじゃなかろうか……。
と思っておったのですが、仲畑さんの著書を読んだ際、
「 一見無駄と思えるモノをあえて残す」
という概念の逆転の発想で、
「余白があることで想像が豊かになる」
ということに気づいたのです。
例えば、ワタクシは石原さとみや新垣結衣が好き過ぎるのですが、
文章中で美女を表現したい時に、より詳細に伝えようと
「石原さとみのような美女、新垣結衣のような美女がいた」
と表現したとすると、彼女たちのことを知っている人であれば、
彼女たちそのものを思い浮かべ、それ以上に美女像が広がらない。
彼女たちのことを知らない人たちであれば、想像すらできないということになりますが、
「彼女を見る男性の眼が皆ハートになるほどの美女がいた」
と表現した場合、読んだ人それぞれの美女像がイメージされ、
感じ方が読む人の数だけある表現の方が、
文章表現が豊かになると仰ったのでは無いかと思ったわけです。
北方さんは絶対にこんな拙い表現はされないでしょうが。
一見無駄と思えるモノがあるせいで高いものが売れている! という例も実はあるのです。
合理的な判断をしているのではなく
オファーやコピーの力で発信者の思惑通りに
判断させられているかもしれません
ダン・アリエリーの著書
「予想通りに不合理」
の中に記載されてあるのですが、この本は『行動経済学』について書いてあり、
「人は何をもとに、なぜそれを選ぶのか」
ということを科学的に証明しつつ、
人が全く不合理極まりない選択をしていることを様々な実例を交えながら筆を進めてあり、
非常に読み応えと面白みのある本なんです。
この本の中で意見無駄と思えるモノが、実は大きな役割を果たしていた!
という実例が以下の内容です。
雑誌『エコノミスト』のウェブサイトで実際にあった広告で、
(1)エコノミスト・ドット・コムの購読 59ドル
(2)印刷版の購読 125ドル
(3)印刷版およびウェブ版のセット購読 125ドル
(2)と(3)がともに「125ドル」なのは誤字誤植ではありません。
では、これを見た人たちは、どう反応したのでしょうか。
世界中の優秀な理数系の学生が集まる
マサチューセッツ工科大学の学生100人に選ばせたところ、
(1)エコノミスト・ドット・コムの購読 16人
(2)印刷版の購読 0人
(3)印刷版およびウェブ版のセット購読 84人
で(2)を選んだのは一人もいませんでした。
すごく当然の選択ですよね。
この(2)は無意味な存在ではないでしょうか。
だとしたら、
エコノミスト誌の宣伝部が無駄な選択肢を敢えて加えた理由はなんだったんでしょうか。
でもそれが次の実験で明らかになるんです!
同じく学生100人に、
上記から(2)を省略した以下の広告を見せてアンケートをとっってみました。
(1)エコノミスト・ドット・コムの購読 59ドル
(2)印刷版およびウェブ版のセット購読 125ドル
「印刷物の購読125ドル」という選択肢がなくなっているだけですが、その結果は
(1)エコノミスト・ドット・コムの購読 68人
(2)印刷版およびウェブ版のセット購読 32人
ウェブ購読が一気に増え、セット購読は大幅に減ってしまったのです!!
上記の結果のように、とても馬鹿げた無駄な選択肢に一見して見えるものがあるおかげで、
売りたかった高額商品を売ることができたという実例をご紹介させていただきました。
この販売手法をそっくりそのまま真似て、
ワタクシがお手伝いをさせていただいたバイオリニストのライブは、
昼のライブチケット:3,000円
夜のディナーショーライブチケット:6,000円
昼夜通しのチケット:6,000円
で販売をしたところ、
見事に6,000円のチケットしか購入する方がいらっしゃいませんでした!!
世の中一見無駄と思えるモノ、足らないと思えるモノでも戦略的にそう見せているだけで、
実は見てる側が操られているのかもしれないですね!
もちろん、お客様にとって魅力のある内容やメリットのあるモノで無いと、
タダでもいらないモノは受け取っていただけないですからね。
世の中に無駄なモノ・コトはなく、無駄モノ・コトがあると思うヒトがいるだけ。
なんて言葉もあるように、自分が得たコトや経験したモノを、
それこそ無駄なく知識と経験、知恵に変えらるかが大事なことだと、
この記事を書いて改めて感じた次第です!!
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